ヴィンランド・サガを読み切った感想
もともと自分の中で1番好きな漫画と言っても過言ではない作品。最終回を迎えてもそれは変わらず。
2025/12/22読了。最終巻である29巻が発売された2025/9/22から3ヶ月を経てやっと読み切った。
28巻を読んだ時点では「これはまだ10巻は続くな…!!」と続きを楽しみにしていたのに、待ちに待った新巻が出たと思ったら最終巻だったときのショックが大きすぎて3ヶ月寝かすことに…
でも最終巻を読んで、なぜあと10巻続かなかったか理解できた。ヴィンランド・サガの制作のきっかけが私が思っていたものと違っていた。気づいたのが最終話を読んでいるときだった。
直接作者に訊いた訳ではないので私の想像の話にはなるが。
ヴィンランド・サガは作者の疑問「なぜ新大陸(北米大陸)への移住を諦めなかったのか」への答えとして描かれている。
私は最終巻の途中まで、この漫画は「世界平和のための武装は必要か」「暴力なしで平和な世界をつくることはできるか」「なぜ生きるのか」といった類のテーマを人々に考えさせるための話だと読んでいた。もちろんそういったテーマもあるとは思うが、あくまで後天的なものでこの話を描く最初の動機ではなかったであろうことが衝撃である。
なぜ新大陸への移住を諦めなかったのか、という単純な疑問を突き詰めて考えるとここまで深い話ができるということに逆に拍子抜けしてしまい理解が追いつかなかった。ヴィンランド・サガ単行本24巻のコラムに作者が
「ワタクシの脳みその不思議なことには、この『なぜ?』に対し一応にも結論を見出さない限り一歩も動けないのです。」
とかいている。疑問は寝かせて答えが閃くまで待つような自分とは全然違うタイプの人だ〜と印象に残っていた。がそれ以上に、「能動的に漫画を描いているのはそれなりに理由が見つかったから」とコラムにあるのを見てなぜに対してかなり深い考察があったと思われるヴィンランドサガという出力結果を「それなり」の理由と言うあたりなんと謙虚な人なのかと改めて24巻を読んで感嘆している。
おそらくこの漫画制作の動機を取り違えるとこの終わり方に違和感があるのかもしれない。と言う私の考察が違っている可能性は十分にあるが、少なくとも私はヴィンランド・サガが「なぜ新大陸への移住を諦めなかったのか」というテーマのネタバラシと思うと最終話はとても納得して読むことができた。
ただこれは単行本で読んでいてコラムを目にしたから辿り着いた結論であり、雑誌もしくはアプリで各話を追うだけでは考え付かなかった可能性は極めて高い。
でもやっぱり今思うとタイトルがヴィンランド・サガの時点で移住がテーマっぽいよね?ヴィンランド(作中での新大陸の名称)&サガ(物語)やから新大陸物語って言うてるもんな。まだまだ読み解く力が足りんな。精進します。
以上
【ネタバレ有】映画「赤ひげ」の感想
監督:黒澤明、原作:山本周五郎、脚本:井手雅人、小国英雄、菊島隆三、黒澤明
1965年制作
日曜の昼間にテレビでやってた赤ひげの録画を思い出して鑑賞。
良い映画をみた。メッセージ性が高く、画のこだわりが美しく、音楽も良く、演技も素晴らしい。私のイメージする映画という概念を全て網羅するような、映画らしい映画。
赤ひげとあだ名されている医師が勤めているボロ診療所にオランダで最新医学を修めてきた保本という若い医師がやってくるところから話は幕をあける。留学後出世コースから外れた診療所に飛ばされ不貞腐れた保本が赤ひげや様々な患者との関わりを通じて変わっていく姿と赤ひげの人となりが描かれている。5人ほどの患者のエピソードが出てくるがそれぞれしっかりと時間を割いて描かれている。
全体通して濃さを感じる映画だったが特に印象に残っているのは
「この病気に限らずあらゆる病気に対して治療法などない」
「現在我々にできることは貧困と無知との戦いだ。それによって医術の不足を補う他はない。それは政治の問題だというのだろう。誰でもそう言ってすましている。だがこれまで政治が貧困と無知に対して何かしたことがあるか」
「貧困と無知さえなんとかできれば病気の大半は起こらずに済むんだ」
「現在我々にできることは貧困と無知との戦いだ(中略)貧困と無知さえなんとかできれば病気の大半は起こらずに済むんだ」と保本に話す赤ひげの言葉である。
この言葉を聞いた時に、この映画が制作された1965年より食べ物にも環境にも情報にも恵まれた現代日本に生きているのになぜかとても共感の気持ちが強かった。
定食が高いからとラーメンばかり食べるような人もいる。
痩せたいがためにサラダしか食べず骨がスカスカになったり、筋トレのしすぎで風邪をひきやすくなっている人もある。
赤ちゃんの頃からワクチンなんて一切打たない方がいいという誤った情報を信じ切ってしまうような、情報の選択を間違えたために生じる無知もある。
貧困と無知は60年前とは形を変えて存在している。貧困と無知の程度は軽くなっているとはいえゼロになったわけではないのだ。
後半のおとよの成長の描かれ方には映像ってこうやって魅せるのか!とハッとさせられた。保本と出会った頃の人間というよりは野生動物のようなおとよの姿から、人らしくなるまでの過程の映像変化がすごい。
ふと切り替わった画面、何も喋っていないのに床の拭き方だけでもう以前のおとよと違うことが急にハッキリと分かる。おとよが窓の縁の雪をすくって水おけに入れる姿から保本への心の距離の縮まりを感じる。ふと映る窓の外の景色が時間の経過を教えてくれる。
ていうかこういう壮絶な過去を生きたせいで人間で無くなってしまってる子供が大人の愛情に包まれて心を取り戻していく話で心動かされんわけなくない?ボロ泣きやったわ。
全体的に画力が強い。映画館とは違う家の小さな画面なのに引き込まれるような映画は久しぶりだった。豪華な着物や華美な装飾のような所謂映えるものがあるわけでもなく白黒なのに圧が強い。
勇気100%ってめっちゃいい曲だよねという話
少し前に忍たまの映画が話題になっていましたね。
私自身はその映画を見ていないのですが、子供の頃にアニメをみて育っていた懐かしさから久しぶりに曲を聴いてみたらめちゃくちゃええ曲やんかと感動したのでその思いをここでぶちまけます。
まず曲の明るさ、ノリの良さの素晴らしさはさることながら今回新たに感動したのは歌詞の良さです。もう最初から最後まで最高なんですよ。この歌詞が子供向けアニメのオープニングであることから、まだ始まったばかりの人生の中で何事にも繰り返し挑戦して失敗してそれでも逞しく育っていってほしいという大人からのエールを感じ、明るい曲調であるにもかかわらず聞くたびにうっすら涙が滲んでいます。こんなにどっしりと広い心で子供を思う大人が存在している温かさ神々しさに。ええ年した今になって聴いてもめちゃくちゃ元気づけられてます。
全体的に挑戦を肯定する歌詞なんですが、挑戦しろというだけでなくてもし失敗しても僕がついてるから安心して失敗してきな、何かあったら僕のところに帰ってきたらいいんだからっていう安心感を与える歌詞なんですよね。
自分が触れ合う子供達みんなにこの歌詞の言葉まるごと与えてあげたいというような内容です。
がっかりして めそめそして どうしたんだい
太陽みたいに笑う きみはどこだい Whoa-whoa
やりたいこと やったもん勝ち 青春なら
つらいときは いつだって そばにいるから
夢はでかくなけりゃ つまらないだろう
胸をたたいて冒険しよう(hey, hey)
そうさ100%勇気 もうがんばるしかないさ
この世界中の元気 抱きしめながら
そうさ100%勇気 もうやりきるしかないさ
ぼくたちが持てる輝き 永遠に忘れないでね
ぶつかったり 傷ついたり すればいいさ
Heartが燃えているなら後悔しない Whoa-whoa
じっとしてちゃ はじまらない このときめき
きみと追いかけてゆける風が好きだよ
昨日飛べなかった空があるなら
いまあるチャンスつかんでみよう(hey, hey)
そうさ100%勇気さぁ飛び込むしかないさ
まだ涙だけで終わるときじゃないだろう
そうさ100%勇気 もうふりむいちゃいけない
ぼくたちはぼくたちらしく どこまでも駆けてゆくのさ
そうさ100%勇気もうがんばるしかないさ
この世界中の元気抱きしめながら
そうさ100%勇気もうやりきるしかないさ
ぼくたちが持てる輝き 永遠に忘れないでね
「がっかりして めそめそして どうしたんだい」
ただ相手の状態を受け入れて気にかける。肯定も否定もしない素晴らしさ。
「太陽みたいに笑う きみはどこだい」
落ち込んで自己肯定感が下がっているだろう相手に、元々の君は太陽のように素敵なんだと思いださせつつ、きみはどこだいと少し茶化して暗い雰囲気にさせない素晴らしさ。
「やりたいこと やったもん勝ち 青春なら」
行動への失敗を、やったことが勝ちなんだと肯定して励ましている素晴らしさ。
「つらいときは いつだって そばにいるから」
やりたいことにどんどん挑戦できるように安全基地として僕がいるんだと安心させる素晴らしさ。
「夢はでかくなけりゃ つまらないだろう」
世の中の一般常識などにとらわれて縮こまらずに今もつ可能性を潰すことなく育ってほしいという気持ちを感じる素晴らしさ。
「胸をたたいて冒険しよう」
自信を持って冒険しようと力強く後押しする素晴らしさ。
「ぶつかったり傷ついたりすればいいさ」
何かしら傷ついている状態である聞き手に対して今の状態を否定せず受け入れる姿勢の素晴らしさ。
「Heartが燃えているなら後悔しない」
Heartが燃えているなら=自分で選ぶこと、他人軸ではなくて自分軸での決断を肯定する素晴らしさ。
「じっとしてちゃはじまらない このときめき」
失敗のあと新しい行動を躊躇しそうになるときに、ワクワク感を思い起こさせてポジティブな気持ちを元に後押しする素晴らしさ。
「きみと追いかけてゆける風が好きだよ」
きみと、とさらっと側にいることを伝え、かつ風のように追いつくことのできない手にすることのできない物でも一緒に追いかけていく気持ちを伝え、ものではなくきみがいるから好きなんだと安心感を与える素晴らしさ。
「昨日飛べなかった空があるなら いまあるチャンスつかんでみよう」
未分不相応のデカすぎる目標に挫けたあとの相手に、さりげなく今のレベルにあった行動をとるよう促してますよね。この冷静さとポジティブな明るさで支える素晴らしさ。
「たとえさみしすぎる夜がきたって新しい朝かならずくるさ」
さみしすぎる夜の存在を知っている心根の温かさ。たとえ話にして不安感を和らげた上で新しい朝が必ずくると断言する思いやりの素晴らしさ。
「まだ涙だけで終わるときじゃないだろう」
この曲の中でこのフレーズが1番好きです。こんなに優しい励ましがありますか。相手の明るい未来を示唆しながら背中を押してくれる素晴らしさ。
「ぼくたちが持てる輝き 永遠に忘れないでね」
子供から大人になる過程で失われやすい自信や自己肯定感、君は君であるだけで僕は僕であるだけで尊いんだという輝きを忘れないでほしいという願いを、僕たちという言葉で一人じゃないという暗黙のメッセージとともに伝えている素晴らしさ。
全体通して好きなところしかない歌詞ですが特に2番がすごく好きですね。
大人こそ聴いたほうがいいですよ。歳をとると怖れのほうが強くなって挑戦できなくなったりしますからね。私のことですが。
自分の中の応援歌としてこれからも聴き続けます。
以上
書籍「回避性愛着障害 絆が希薄な人たち」の感想
著者・岡田尊司
発行者・丸山弘順
発行所・株式会社光文社
2014年1月10日 電子書籍版発行
今回はkindleで読みました。
とても読みやすい文章で、理解しやすかった。
この本は回避性愛着障害というタイトルがついているが、中心となるテーマは「いかにして自分の人生を生きるか」である。10年前に発行されているものの、今読んでも皮を剝いたばかりの桃のような瑞々しさを感じる。名著。
流れとしてはまず回避性愛着障害の特徴を偉人の具体例など述べながら説明してくれ、どんなものか理解が進んだところで、解決のためにはどういう行動をとるべきかが書かれている。現在人間関係で生きづらさを感じている人、親や上司という人を育てる立場にある人には役立つ1冊だと思う。
この本を読むと、ネットでよく話題になるいい恋人の選び方だとかあげまんの特徴だとかいうのは安定型の愛着形成がなされた人物の選び方を示唆してしたのだなと思う。書籍の中にも現代人に占める回避型愛着障害の割合が大きくなってきているとあるが、世の中から安定型の人々を見つけ出すのは難易度が高いためこのような選び方がよく話題に上がるのかもしれない。
この本を通して1番大きな学びだったのは、詩はマインドフルネスの啓蒙だったのだと気づいたこと。本書のテーマとは逸れるが印象的だった。私が詩を読むときに感じていた「心の洗濯」という感覚こそがマインドフルネスだったのかと。
マインドフルネスとは、物事を価値判断するのではなく、ありのままに受け止めて、豊かな気付きを得ることである。(中略)マインドフルネスは、囚われから自由になることを目指す心理的アプローチで、その起源は瞑想にある。(7章より)
マインドフルネスって全集中の呼吸みたいよね。鬼滅の刃は序盤しか読んだことがないけど。
・愛着に問題を抱えた人の治療にマインドフルネスが効果的だということ
・マインドフルネスではありのままを受け入れて感じることが重要で「ここにあるということ、存在するということ自体を味わう」ことができるようになると人生を大切に感じられるようになる
これらを読んで、今までの疑問が解けた気がした。詩や芸術に触れるとなぜこんなにも心が安らぐのかという疑問である。美しさだけではない他の要素を感じていたものの、それが何か分からなかった。まあそのうち分かるかと思っていたのが今日分かった。もしかするとホラー映画で癒しを感じる人がいるのもマインドフルネスの効果かもしれない。
詩、音楽、絵画、彫刻など、芸術には今をありのままに受け入れるというマインドフルネスの側面があり、それゆえ癒しを感じるのだ。
私は詩が好きだが、詩人がしばしば重要なテーマとして「ただそこに存在することの尊さ」を取り上げている理由がよく分かっていなかった。
詩人自身が意識しているのか分からないが、この世でつらい思いをしている人にマインドフルネスを届けるため「ただここにあること」をテーマにしているのかもしれない。詩人はそんな生きづらい人々のために詩を書いているのかもしれない。
この本の第7章の中に以下の一節がある。
今という瞬間を味わうことができなければ、いくら理想の状態が手に入ったとしても、その瞬間に、それは色あせたものになって、やがてつまらなくなってしまう。いつも、目の前にないものを、ただ、むなしく追いかけて、時間を無駄にしているだけである。そうではなく、今この瞬間、ここにこうして存在すること、それを、ありのままに味わう。それができるようになることが、命というものの本来の輝きを取り戻すことにつながるのである。
この一節は胸に刻んでおきたいと思う。
現代人は物心つく頃から、将来のため何をするべきかを考えさせられる。今を耐え、より良い将来のために尽くすことが当たり前になっている。当たり前から外れる時間が必要だ。ゲームなんかもその役割を果たすのかもしれないが、この書籍の中でも動画の情報量の多さが危惧されていたことを思うと昔から存在する芸術の方がいいのではないかと思う。
この感想を書いていると、以前脱落した鬼滅の刃が無性に読みたくなってきた。あれだけ人気が出たのは、呼吸という技から考えられるようにマインドフルネスの要素が多分に取り入れられていたからなのでは?つまり鬼滅の刃とは詩であり、芸術なのでは?知らんけど。
以上
書籍「読書術」の感想
著者・加藤周一
発行者・大塚信一
発行所・岩波書店
2000年11月16日第1刷発行
静かな山中の透き通った小川の水がサラサラと自分の中に流れ込んでくるようで、スイスイと読めた。読みやすく、読んでいて気持ちいい。清廉な文章。
あとがきによると、もともと光文社から出版されていた「読書術」に少し手直しなど入れて岩波書店から発行されたものらしい。文章自体は1960年ごろに書かれたようだが2023年の今でもなんら違和感なく新鮮なものとして読んだ。通勤電車での読書に関しての項など今も全く変わっていない通勤事情に少し寂しくなったくらい。
読み終わって印象に残っていること
・読書は楽な体勢がよい←激しく同意
・うさぎと亀の項、ひとつの本を遅く読むことでその後の読書が速くなることもあるし、たくさんの本を速く読んできたからこそ時間をかけるべきひとつの本を選ぶことができる←読書のみならずこういうことは人生において多々あるなと共感
・読まない読書術の項、自分が読んでいない本について相手が話し始めた時に反対とも質問ともつかないような返しをしてその本の内容を引き出す。話を聞く前は「知的」ではなかったかもしれないが、聞き終わった後はいくぶん「知的」になっている←この技術はぜひ身につけたい
・徳川時代の国学者・香川景樹の言葉「文章はただ義理のわかるを基としはべれば、だれが聞きても少しも悔い惑わざるが上手なり」(『随処師説』)←最近世間でよく言われる「誰でもわかる簡単な言葉で説明できる人が賢い人」の元ネタっぽいなと思った
・難しいと感じる本は、書き手が下手か、自分に必要のない本←言い切っていて清々しいし、納得できる
・著者は通勤電車の中でのみ『ラテン語文法捷径』という2冊の小冊子を読みラテン語を学ぶ生活を1年間続け、その後羅文の古典文学を読むなど海外の書物を原文で読む描写がたまに出てくる←とても知的でかっこいい
X(旧Twitter)で「岩波文庫を100冊よめば文学部を出たくらいの教養がつくと言われている」という発言をみたため、岩波文庫100冊読んでみるかという気になった。それに取り掛かる前に読書法の本を読んでおくのもいいかもしれないと思い手に取った本。読書に関して網羅されているしとても上質な本だと感じたが、岩波文庫100冊読破に役立つかというと少し違う気がしている。しかし買って常に手元に置いておきたい本である。
以上。
書籍「西洋美術は『彫刻』抜きには語れない 教養としての彫刻の見方」の感想
著者・堀越啓、発行所・株式会社 翔泳社
2022年8月31日電子書籍版発行
1番印象に残ってるのは「ロダンって思ってたよりめっちゃ凄い人やん」ってこと。彫刻史がロダン前とロダン後に分けられるってこの本で知って、え、そんな凄い人やったん?って頭混乱した。いつも挨拶してた掃除夫のおっちゃんが実は社長でしたみたいな。
ロダンの凄さは、今までのギリシャ・ローマ的な外形的な美しさを重視していた彫刻に、生き物の内面や本質を表に出す表現を取り入れた点らしい。SNSの普及でどんどん見た目重視の風潮が広まってる昨今、ここらでいったん自分の中にロダンを呼んでこなあかんという気持ちになった。みんなの心にもロダンを。
分からんなりに彫刻を見に行くと、人間も広義の彫刻だよなと思う。美容整形とかで外形を整えるのも美の追求においては大切かもしれないけど、ロダンの作品のように内面が滲み出る外見を味わうのが面白い。また彫刻は野外におけることで、時間の経過やその時の天気や周りの環境によっても見え方が変わる。自分という作品をどう作っていこうかという気持ちになる。
西洋美術史において「時代の節目になると必ず戻ってくるのも、この古代ギリシャ・ローマの美術です」とのこと。ルッキズムの強まりからしても、日本もどんどん西洋に染まってきてるのかもね。筋トレブームで筋肉美ももてはやされてるし、立体的な顔面とか、腰高の長い脚とか西洋的な美の基準が圧倒的に良しとされていて少し寂しい。
彫刻ってなんかよく分からん、を解消したくて読んだ。結果として彫刻の素材や制作方法に関する謎に関してはスッキリしたものの、感覚としてはやっぱり分からんままである。彫刻美術の歴史に関して頭にあまり残ってないからだろう。もう一度歴史の部分を読み込むとより彫刻が楽しめそう。写真とか図があるから、電子版でなく紙で読んだ方が見やすかったのかもと思った。
以上。