【ネタバレ有】映画「私がやりました」の感想

他の映画を見に行った時の予告編が面白そうだったので。

監督&脚本フランソワ・オゾン。2023年12月5日鑑賞。

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サスペンスコメディの雰囲気で予告編が出ていたため観るまで全く気づかなかったが、この映画は女性の人権のあり方を批判し、女性はこうでなくていいんだと優しく教えてくれて、かつもっと声あげてこうよと呼びかける映画だった。

 

自分は50~60年代の雰囲気が大好きなので正直なところ、何でわざわざ30年代にしたん?????の気持ちでいっぱいだった。いっぱいなりに考えてみたところ、以下2つが理由だろうという結論に。

 

①世界的に女性が参政権を獲得し始めた時期だから

無声映画からトーキーへと変わった年代だから

 

①の女性の参政権については、ネットで調べたところ1893年ニュージーランドが世界発とのこと。その後も世界各国で女性参政権運動がさかんになるが、いわゆる主要国であるイギリスやドイツ、アメリカで女性が参政権を得るのは第一次世界大戦直後。作中の舞台であるフランスに関しては日本と同じ1945年だったらしい。作中のフランスでは女性にはまだ参政権がなく、過渡期の時期だということ。

 

②の無声映画からトーキーに変わるというのは、今まで声なき者とされていた女性が少しずつ権利を勝ち取り主張できるようになってきたのを表しているんだろう。裁判のシーンでも女性弁護士のポーリーヌや被告のマドレーヌが弁論するシーンは女性の権利を訴えるような内容ばかりだった。特に最終弁論をするポーリーヌの台詞は現代との年代のギャップが効いてて印象的。「1934年にもなってまだ女性はこんなに不当な扱いを受けている」と訴える内容の台詞は、作中から90年も先の未来に生きているのにまだ女性の扱いは30年代とほぼ変わらないままなのかと現代を批判している。

 

そう思うと、舞台に1930年代を選んだことってすごく意味がある。さすが映画。そして監督兼脚本のフランソワ・オゾンすごい。しかもこのフランソワ・オゾン男性だったとは驚き。こういう女性がテーマの映画を作るのは女性監督ではないか、という自分の偏見にも気づけて良かった。

 

1930年には意味があったと分かったけど、この映画を2023年に上映した意味は何か?この映画の作成にどれくらいの時間がかかったかは分からないけど、#MeToo運動が影響してそう。#MeToo運動がツイッターで話題になったのが2017年。

女性が好きそうな雰囲気の映画で女性の観客を集めて女性の人権を語るというのは、みんなもっと声あげてこうよ、MeTooの時のように声をあげて主張してもっと世界を変えていこうよというアピールなのかも。

途中から出てくるオデット・ショーメット、てっきりヴィランかと思いまた女同士争わせるのかと思ったら最後はwin-winな形になるようお互い協力してハッピーエンド。この終わり方も女同士協力して生きていこうねって感じする。

 

 

この作品で年代以外にもう1つ疑問に思ったことがある。それは女性の露出。2か所も肌の出るシーンが出てきて衝撃だった。女性についてかなり分かってる映画だから、無意味な露出はしないだろうのにその意味をくみ取れてない自分が悲しい。

 

1つ目の露出シーンはマドレーヌが資産家男性のパルマレードにお願いに行く場面。ここでマドレーヌはパルマレードを誘惑してお願いを聞いてもらうために右胸をさらけ出す。それをみたパルマレードはそのまま好きにすることはなく、体を差し出さなくてもマドレーヌの要求を受けてくれる。このシーン、この「女が男に頼み事をするときに体を差し出す必要はまったくない」というメッセージは観客の女性に絶対に忘れてほしくなかったんだと思う。だから強いインパクトを残すための露出だったのかなと思っているがなんかそれだけではなさそうでモヤモヤしている。会ってた場所も意味ありげだし。と思ったけどエンドクレジットへの布石?

 

2つ目はマドレーヌとポーリーヌ2人で入浴しているシーン。貧困から脱して、もう水道代を節約したり身を寄せ合って暖をとる必要はないのに2人で一緒にお風呂に入っている意味ありげな場面。2人の感情の違いがわかるシーンかな。ポーリーヌはマドレーヌを恋愛として好きだけど、マドレーヌはなんとも思っていないから体を隠すこともなくザバッとバスタブから上がる。でもここでその違いを出してきたのはなんで?今は分からなくともそのうち分かるかもしれないので寝かせておく。

 

 

こんな感想を書いていると真面目な映画みたいだが、最初からずっとコミカルで明るい雰囲気、画も美しいし、謎解き気分で楽しいし、コメディ部分は面白い。ハッピーエンドだし。

特に好きなのは、オデットが裁判所で判事に真犯人だと告白した後。判事も自分の判断が間違っていたと分かるとまずいので、マドレーヌが犯人で無実になったという結果は覆せないとオデットに説明。未解決事件をいろいろ出して、オデットに犯人になりたい事件を選べと説得しているシーンは大好き。あと殺人後にスターとなって富と名声を得たマドレーヌをみて、世の中の女性たちの選択肢の中に殺人が入りだすところも笑える。

回想のようで現実にはない部分のシーンは白黒だったのに、最後はカラーになってたのもおもしろかった。実際の出来事とは違うけど、カラーになっているということはこれが現実ということかと思わせるようなね。

 

あとエンドクレジットも面白かった。登場人物のその後が新聞記事としてそれぞれ登場するけど、みんなボロが出てるというかあんたもやっとったんかいっていうニュースになってて。いい終わり方。

 

邦題のつけ方もめっちゃ上手いよね。原題の「mon crime」ってそのまま訳すと「私の犯罪」となってなんか真面目そうだし硬そう。「私がやりました」はタイトルからコメディ感が出ててすごい。

 

予告を見てたから、オデット・ショーメットがいつ登場するのかと前半はちょっとだけ退屈だったけど、後半はテンポよく見れた。終わりよければすべて良し。

 

以上。